東北の甲子園決勝をまとめただけの話(前篇)
こんにちは、最近オンゲキを始めたばっつぁんです。
まぁ、紹介はさておき夏の風物詩の甲子園が終わりました。
大阪桐蔭対金足農業の試合結果
1先ずはこの試合を紹介しなければなりません。これまで何度も甲子園を制覇している大阪桐蔭とナンバーワン投手の吉田輝星投手を擁する秋田の公立高校の金足農業の試合です。
大阪桐蔭が勝つと
- 史上初の2度目の春夏連覇
- 甲子園決勝8連勝
金足農業が勝つと
- 史上初の東北勢初優勝(春夏通して)
- 佐賀北以来の公立高校の優勝
どっちも100回目の大会で凄いことになる試合、主人公とラスボスと例えられていました。当然ながらダークホースの金足農業が前者で、何度も甲子園を優勝している大阪桐蔭が後者です。
試合内容は秋田予選から一人で投げぬいてきた吉田輝星投手が初回から桐蔭が3点先制され、その後も度重なる連投の疲れから桐蔭打線に捕まり、5回12失点で初めてマウンドを降りる自体になりました。終わってみれば13-2で大阪桐蔭が史上初の2度目の春夏連覇を達成しました。東北勢は100回目の大会、しかも記念すべき第1回と同様の秋田勢が決勝に進出しても白河の関に優勝旗が渡ることがなかったのです。
中々優勝できない東北勢
という事で本題に入ります。実は東北勢は春夏通して1度も優勝していません。
その他の地方では何処かしらの都道府県が春夏のどちらかで優勝していますが東北地方だけありません
じゃあ、弱いのか?そんな事は全然ありません。
既に練習の質や整備は差はあれど強豪校と遜色がなく、2000年以降は
古くは初代甲子園のアイドルの太田さんや大魔神の佐々木主浩さん、最近だとソフトバンクの摂津投手やカブスのダルビッシュ投手に西武の菊池雄星投手やエンゼルズの大谷翔平選手等様々な有名な選手もいます
太田さんは甲子園進化論という本を書いています。
しかも、ダルビッシュや菊池投手は甲子園の決勝に進出しましたが準優勝で終わりました。
一世紀近くやっている大会で特定の地方がここまで優勝できないのはもはや一種の呪いと考察する人もいます。アメリカのメジャーリーグで実際にあったバンビーノの呪い*1や阪神のカーネルの呪い*2と言うジンクスに近いでしょうか?
これまでの東北勢の決勝
では、前後編に分けて東北勢の決勝を見てみましょう。
1915年:第1回全国中等学校優勝野球大会
記念すべき初の大会です。参加高校は10校で球場も400Mトラックの運動場でした。
実は秋田県の秋田中*3が決勝に進出しています。
試合の内容は延長13回相手の京都ニ中*4にサヨナラ負けしています。
今と違い、開催が急すぎた事もあり東北からは秋田の3校(予選)しか参加できなかったそうです。それに加え、戦時中だったことも有り、親の反対で出場できなかった選手も居たそうで、秋田中はたった9人で戦わざるを得なくなったと言われています。金足農業もスタメン9人で戦っていましたので共通点がありますね。
1969年:第51回全国高等学校野球選手権大会
一気に飛んで54年後、初代甲子園のアイドルである太田幸司さん率いる三沢高校が快進撃で戦後初の決勝戦。相手は愛媛県の松山商業です。奇跡のバッグホームで有名ですね。
過去記事で少し述べましたが延長18回で決着がつかず、再試合になりました。再試合は初回の失点が響き、2-4で負けました。
当時を知るものは最も惜しかった試合と評されています。再試合前の延長15回三沢高校の攻撃、2アウト満塁とするも、三振を取られてしまいました。
1971年:第53回全国高等学校野球選手権大会
福島県の磐城高校が165cmの小さな大投手・田村投手が絶好調で決勝に進出しました。しかし、決勝戦で1点に泣きました。尚、優勝した桐蔭高校(神奈川の高校であり大阪桐蔭ではありません)はこの甲子園が初出場でした。これ以降夏で初出場初優勝した高校はいません。
尚、田村投手は決勝まで無失点でした。初めての失点が決勝点になってしまったのです。
1989年:第71回全国高等学校野球選手権大会
平成初めての甲子園となったこの大会、宮城の仙台育英が大越投手を擁して決勝に進出しました。しかし、延長10回、2点を取られそれが決勝戦になりました。
大越さんはこの後、プロ野球選手、そして早鞆高校の監督になりセンバツにも出場しました。
キリが良いので2000年以降は後編に続きます。